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加藤勝美(S41経)さんのページ

               加藤勝美氏出版記念会
 
 加藤勝美氏(大阪市大経済学部卒)の著になる『愛知大学を創った男たち――本間喜一、小岩井淨とその時代』がこのほど同大学から刊行され、その出版を祝う会が7月2日、大阪・中之島公会堂のレストランで開かれた。会には大学時代からの友人や出版関係者など約60人が全国各地から集まり、今回の大作の完成を祝うとともに、加藤氏の半世紀にわたる文筆活動の足跡を讃えた。

 『愛知大学を創った男たち』は同大学の創立60周年記念事業として企画されたもので、加藤氏が同じ大阪市大経済学部の3年先輩である武田信照学長(当時)から執筆依頼を受けたのが2004年。以来、徹底した資料の収集・調査と関係者のインタビューを重ね、執筆を完了するまでに当初2年の約束が4年を要するという大作となった。

 愛知大学は、上海に設立された東亜同文書院大学を継承して創設されたという由緒を持つ大学だが、本書は、建学にかかわった二人の人物――本間喜一と小岩井淨を、その生い立ちから学生時代(ともに一高-東大)、そして卒業後の波乱の人生を追う。本間は司法官となり、検事、判事を歴任した後、東京商大の教壇に立つが、「商大が時代の波に洗われた」“白票事件”に巻き込まれて大学を去る。小岩井は8年遅れて一高に入学、東大時代には「新人会」に属し、卒業後、第一次共産党の設立に参加、大阪の地で労働・農民運動の先頭に立ち、幾度も検挙・投獄される。二人が交わるのは戦時下の上海で、1944年本間が東亜同文書院大学の学長、小岩井はそのもとで同教授となる。敗戦の混乱の中、同大学の学籍簿等を帯出して帰国、1946年豊橋の地に愛知大学を創設、それぞれ第2代、第3代の学長となり、苦難の中で大学の基礎を固める。

 加藤氏は、証言を集め、埋もれた資料を発掘しながら、二人の足跡を丹念に追跡した。その間の苦労は並大抵のものではなく、はじめは「理解が必要と思われる事柄の多さと資料不足」に辟易し、やがて「集めた資料の多さに気が狂いそうになる」「コピーの山に窒息しかかっている」(あとがき)という状態が続く。そして4年にわたる悪戦苦闘の末に、愛知大学を創った二人の人物像を見事に浮かび上がらせた。だがこの本のすごさは、大学創設にかかわった二人の人物像の再現にとどまることなく、その人生航路に明治、大正、昭和と移る時代の流れを巧み重ね合わせ、日本の近現代史の断面をほうふつとして描き出しているところである。その結果、本書は単なる個人の伝記という域を超えた、一種の歴史書の趣を有するところとなった。

 愛知大学は本書をもって、公式の大学史や、建学の精神に関する100の弁舌を超えて、歴史に根差したアクチュアルな典拠を得たといえるだろう。

 加藤氏は1960年に大阪市立大学経済学部に入学。折から60年安保闘争のさなかにあって、学生自治会の活動に参加するとともに、活発な文筆活動をくりひろげた。状況への発言や文学評、映画評などを「大阪市大新聞」に発表、また同人誌「ピラニア」を発行するなど、その文筆の才は多くの人から注目されていた。卒業後は業界誌、PR誌、月刊誌の編集に従事するかたわら、創作活動を続け、1982年からはフリーのライターに。この間、ベストセラーになった京セラ会長稲盛和夫の伝記『ある少年の夢-京セラの奇蹟』をはじめ、MKタクシーの青木定雄、日立の小平浪平、キヤノンの御手洗毅などの一連の創業者の評伝を手掛け、徹底した取材と個性的な人物像を浮かび上がらせる描写力でこのジャンルの第一人者と評されるようになった。

 今回の『愛知大学を創った男たち』はこれまでの作品と比べても、比較にならないほどの時間と労力を費やした力作で、加藤氏の業績に新たな金字塔を築くこととなった。

 「祝う会」に集まったのは大阪市大時代の仲間のほか、出版会の友人や愛知大学の関係者、さらにはペシャワール会など加藤氏の社会的な活動の広さを反映した多彩な顔ぶれ。今回の著作とこれまでの業績への評価だけでなく、信念と正義を貫く加藤氏の生き方そのものを賞賛するスピーチがめだった。 

                       
;「愛知大学を創った男たち 本間喜一、小岩井浄とその時代」

;加藤勝美氏