日立造船の130年の歩みと目指すべき姿

2011年度(H23年度)

畦地 俊司 様

今までの経友会講座の中で2番目に若い講師の講義は、身近に感じたのか、学生、社会人聴講生ともに興味深く聞いていました。
とくに、香港ジョイントベンチャー(JV)に駐在中の苦楽を、実に要領よくまとめたレジュメを使っての話は、国内志向の学生が多いなか、海外事情の一端を理解できたと思います。
ご多忙のところ、ありがとうございました。

■ テーマ
「日立造船という窓から見た日本、世界、そして未来」

■ 略 歴
経H10卒 玉井ゼミ サッカー部
1989年  日立造船㈱入社
現  在  日立造船㈱エンジニアリング本部業務部      

■ 会 社   
外国人居留地で明治7年に『E・H・ハンター商会』創設した。明治10年の西南戦争で、西郷軍の軍需物資を取り扱い基礎を固める。明治14年(1881年)、大阪の安治川の畔に、息子平野龍太郎の名義で、「大阪鉄工所」を創設。
船舶の建造・修理のみでなく陸用機関機器、橋梁の製作も手がけて明治40年前後には三井造船、川崎重工に次ぐ日本三大造船所に成長し、後に同鉄工所は日立造船所へと発展を遂げる。
大阪鉄工所は、国産第一号のトロール船を明治41年に完成させ、後に日本の大半のトロール船を製造するまでになる。          http://ja.wikipedia.org/wiki/

■ 講義内容
序章 日立造船という会社
1.事業・製品
ごみ焼却設備、淡水化プラント、船用エンジン、プロセス機器、精密機器、船橋、シールド掘進機など

2. 連結子会社 63社、うち海外拠点23か所(H23.3.31現在、H22年度有価証券報告書)
連結売上高   2,871億円 営業利益 134億円、当期純利益 96億円(同上)

環境931 機械609 精密機械386、インフラ384 プラント296 プロセス機器173 その他92(同上)
●造船は、連結子会社(15.1%所有、ユニバーサル造船㈱)の売上高が10%以下であるため連結決算に含まれない

連結従業員数 8,004人(同上) 単独従業員数 2,867人 平均年齢43.7歳 勤続年数17.8年 平均年間給与6,698千円(同上)

Ⅰ.【過去】 日本経済史と脱造船
1.戦前:民間造船所として創業
1881年大阪鉄工所の創立 創業者 E.H.ハンター

2.戦中:日立株式会社へ
1914年 ㈱大阪鉄工所・・・大阪商船系による経営
1926年 久原財閥による経営
1934年 日本産業へ合併<鮎川義介>・・・日産コンツェルン(日産自動車、日立製作所、日本鉱業など)
1936年 日立製作所傘下へ<小平浪平氏が会長に就任>
1943年 日立造船㈱へ改組
1948年 株式一般公開・・・財閥解体

3.戦後:日本造船業の拡大
1955年   日本が造船量・・・世界一に
1950~73年(高度成長期) Hitz造船業中心に成長
1974~89年(石油ショック)  〃社会インフラ事業へ転換
1990~10年(競合の台頭)  〃社会インフラ市場が飽和
        ⇒02年造船分離(売上高35.1%のとき) 先見の明!?   
・国別船舶受注実績 日本13.6%、韓国35.6%、中国4.3.0%

Ⅱ.【現在】日本企業の2つの課題
1.組 織
高度成長期のビジネスモデルに即した組織・・・市場縮小時に機能不全
⇒組織再編の必要

2.事 業
既存事業の衰退・・・従来のやり方による事業のライフサイクルに寿命
⇒事業の新たなやり方、新たな市場・製品が必要

3.日立造船の取組み
(1)課題1(組織)・・・会社基盤の再構築
(2)課題2(事業)・・・社会的存在感のある高収益企業への進化

Ⅲ.【未来】日立造船の目指す姿
1.経営環境の変化
2.技術と事業のイノベーション
  ①先端分野、②新興国などのビジネス

 (1)グリーンエネルギー
  ①環境の改善、②資源とエネルギーの有効活用、③再生可能エネルギーの利用拡大

 (2)社会インフラ整備と防災

Ⅳ.企業人として~海外で働くということ~
1.香港へ赴任
ストーンカッターズ橋工事(ジョイントベンチャー:共同企業体)

2.カルチャーショックを体験
(1)香港人の気質
(2)中国企業の契約に対する意識
   ⇒日本という国、日本の人という民族について、改めて捉え直す契機に

3. 異なる人々と協力していく
(1)日本人:製造を仕切る・・・英語が苦手、おとなしめ
(2)イギリス人:人脈、規格・・・現地でのネットワークが強い、プライドが高い
(3)香港人:現場を仕切る・・・親切、英語は得意、物おじしない

4. 日本人が国際人として働く
(1)日本人の英語力
   日本では「英語が得意な人」⇒海外では「英語が苦手な人」  

(2)日本人としての真面目さ・誠実さ
   日本では「あたりまえのこと」⇒海外では「優れた特徴}   

■ ハンター邸

ハンター邸
1889年(明治22年)頃ドイツ人のA.グレッピーがイギリス人技師に依頼して、現在の神戸外国倶楽部(神戸市中央区北野町4丁目)がある場所に建てたものとされている。1907年頃にイギリス人実業家E・Hハンターが購入し、同北野町3丁目移築、改造した。
ハンターは当時の日本で造船、鉄鋼などの事業を手がけ、日立造船の前身の会社を興した人物である。
住宅は移築時に大幅な改造が行われ、開放されていたベランダに当時貴重な窓ガラスが全面に嵌め込まれ、現在の特徴的な外観となった。
その後1963年に北野町から王子動物園に移築され、国の重要文化財として保存処置が講じられている。北野町には在りし日の名残でハンター坂という地名がある。1984年発行の記念切手「近代洋風建築シリーズ」の図案になっている。 

■ ハンター迎賓館(現在、結婚式場)http://www.kitano-hunter.co.jp/index.html
神戸北野 ハンター迎賓館でのブライダル・ウエディング情報はこちら。神戸北野でも希少価値の高い「和の異人館」。100年以上昔、ハンター坂の名で有名なE.H.ハンター 氏の所有だった建物だ。東洋と西洋文化が融合した大正ロマン漂う邸内

講義中の畦地俊司講師

畦地講師

恩師の玉井金吾教授

教室全景

講義後の懇親会

恩師の玉井教授(左から3人目)、福原教授とともに(杉本町駅で)